頭の中にあるうちは、いつだって何だって傑作なんだよ
引用:何者
[rakuten no=”9784101269313″ shop=”book” kw=”何者 (新潮文庫) 朝井リョウ”]朝井リョウさんの作品「何者」のワンフレーズです。この「頭の中にあるうちは、いつだって何だって傑作なんだよ」から思い浮かんだことを記事にしました。
頭の中の傑作
誰しもが経験したはず。
現在も陥っている人もいる。
アイデアは時として残酷で、浮かんだ時には爽快。
いざ、やろうとしたとき、「何もできない。」「行動できない。」
やりたくても動けない。どうすればいいのかわからない。苦しい。辛い。
絵空事を並べて、結局やめた。俺にはできない。諦める。
こんな人が世の中の大半。やっぱり普通に生きるのがいいな。なんて思う
でも、普通に生きているうちにまた、やっぱり目指そうかな。って思う
そんなことを繰り返すうちに子供ができたり、自分自身がおじさん、おばさんになっている。
行動するまでに、時間が空けば空くほど、言い訳する理由がたくさんできる。
過去に戻ってやり直すことはできない。だから「今」、という時間が一番若いトキになる。
過去に戻ってやり直すことは、できないけれど、今からの行動で過去を塗り替えることはできる。
頭の中の傑作を世に出すには。
頭の中で描かれた傑作なビジョンを現実にそのまま表現できる人が注目を集める。
大切なのは、考えを1でも20でも50でも実際に出すこと。
ダメだったら、次どうすれば上手くいくか考える、そしてまた行動に出す。
その繰り返し。非常にシンプルなPDCA。
キングコングの西野さんはディズニーを超えると宣言した。
これからバケモノに戦いを挑まなければいけない。
でも、ディズニーには弱点があると、
「ジャングルものの映画の時は他に比べて反応が薄い」
この真裏で自分の映画をぶつけると
自分の描いた傑作を現実に落とし込もうとする姿勢。普通のひとなら絶対やらない。
何故、頭の中の傑作を体現できないか。
それは、逆算をしない。行動を起こさないから
結局少し行動を起こしたところ頭を上げてもで、目指すべき頂きは目に見えないからやめてしまう。
階段を上るとき、1段飛ばし、2段飛ばしで登ることもできるが、1歩で次の階へはいけない。
また、段を数個飛ばしながら、登るには、一段ずつ上がるのに比べて負荷もかかる。
目指すべき所へ行くまでには過程があって、それを乗り越えて初めて「傑作」という頂きにたどり着く。傑作が無謀なほど過程は長くなる。
頂きへの道のり
傑作が思い浮かんだら、どうやったら過程を走り切れるかを考えなくてはいけない。
数個の中間地点で過程を区切り、ステップを踏んで「傑作を形にする。」これが王道だろう。
また、違った頂きへのたどり着き方もある。登る方法には様々な方法があるということ。
ダダの傾斜、階段、エスカレーター、エレベーター、ヘリコプター。
文明の進化によってバリエーションは増えた。遅くてもコストが低いものもあれば、高くてコストが高いものもある。
間違ってはいけないのは、身を削ること。コストというのは、お金だけではない。
時間、そして肉体もコストであるということ。タダを突き詰めて時間と肉体を使っていては、結局頂きにたどり着くまでに、体の弱った老いぼれと化してしまうことがある。
どの登り方が一番適しているのか、自分の頭で考えながら進む必要がある。
頭の中の傑作を世に出すことは、簡単ではないが、諦める必要はない。
口を動かした後は手をその何倍も動かすことがとても大切だ。
口を動かしながら手が高速で動くようになると、頭の中の傑作と初めて真剣に、向き合えるのではないだろうか。
大風呂敷を広げて畳み切る。
夢は願うならタダ。口に出すのもタダ。
これは自分に向けて書いている。これは、ある意味頭の中の傑作である。
今現状の自分はできていないから。
諦めないで、普通な人生から抜け出してくれ。と頭の中の傑作が言っている。
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